ビルの谷間で暮らす、田舎の原付野郎

関東の日帰り原付ツーリングを中心に、バイク用品の感想や、マンションのプチ改造(断熱など)を記事にしています。

375.4km 日帰り原付ツーリング その⑤ 「ソロモン(⇒小諸)よ、私は帰ってきたッ!」

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2016年11月、マジェスティ125で往復430.5㎞を走破し、たどり着いた小諸駅に、
アプリリアRS4 125で、再び到着しました。
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一年前と同じ場所です。アニメ「あの夏で待ってる」の看板も変わらず位置しています。(しまった写真は前回のほうが全然綺麗だわ。たのむよIPHONE6)

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前回の到着時間(12:30)より30分遅れでTDしています。そして前回、小諸出発は14:30ごろ。
同じ時間までには、出発しないと、遅くなってしまいます。

あわてて小諸駅の南側、懐古園に向かいます。
駐車料金 200円。入場料 300円です。

デジカメIXY50の調子がイマイチですね。お前ももうロートルか。。
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もともとは武田信玄がこさえた小諸城が、その起源のようですね。
HPには、
 天文23年(1554年)、甲斐の武田信玄の侵攻で鍋蓋城以下は武田氏の手中に落ち、以後約30年間、武田氏の城代によって支配される。
信玄は、この地の重要性にかんがみ、重臣山本勘助馬場信房に命じて鍋蓋・乙女城を取り込んだ新たな縄張りをさせ城郭を整備した。これが小諸城の原型である。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉が天下統一を果たすと、小田原攻めの軍功により再起を果たした仙石秀久が5万石で小諸に封ぜられる。秀久は城の大改修と城下町の整備に取り掛かり、今日遺構の残る堅固な城とした。


とあります。
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この城郭は武田信玄山本勘助、そしてその後の仙台秀久が整備したのもなんですね。

その後、明治政府になってから、公園に生まれかわったんですね。


 明治4年(1872年)の廃藩置県小諸城は役割を終え、明治13年(1880年)に城郭は小諸藩旧士族へ払い下げられ、旧士族により本丸跡に懐古神社が祀られ、「懐古園」と名付けられた。
その後、大正15年(1926年)に、造園の権威である本多静六の設計により、近代的な公園に生まれ変わった。

しかし、町を眼下に納められるこの立地は、まぎれもなく城ですね。
展望台からは、千曲川を一望できます。

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あの夏に出てきましたね。

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中に神社がありますね。
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お参りして、無事を祈ります。

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甘楽町の楽山園と異なり、これは立地的にも戦国の要所を抑える感じです。

なんてふらふらしていると、もう時間が!!やばいです。
あとは例の場所によって、浅間山を眺めなくては!!


ちなみに。。。

平成29年度 小諸城懐古園 紅葉(もみじ)まつり

 10月21日(土)~11月19日(日)

だそうです。これからなんですね。